人の悩みの多くは対人関係にあると言われています。
対人関係の悩みを増やしてしまうのが承認欲求をベースに人間関係を構築してしまうことです。これだと常に他者に振り回され、自分が本当にしたい事もできす、したいことより他者をベースにした「やらなければならないこと」に押しつぶされ、生き辛くなってしまいます。
また、他者を競争相手と見なし、これをベースに対人関係を捉えてしまっても、他者をライバルと見なしてしまいます。更には敵と見なしていき、これもまた生き辛くなってしまいます。
それに、一時的に勝者であって周りが言う事を聞いてくれていたとしても、いずれはその力も衰えて負ける時がきます。それにも関わらず勝ち負けに執着をおこしてしまえば、更に人生が生き辛くなってしまうことにもなります。
更に生き辛くするものに、「他者と自分の課題を混合させてしまう」という事があります。
他者の課題は他者のもの、自分の課題は自分のものです。自分の課題に対して他者がどのように評価しようとも、それはその人の考え方や捉え方次第であり、自分がどうする事も出来ないものなのです。そこに意識を向けても仕方ありません。気にしないことが大切です。これを気にし過ぎれば、そのうちこれもまた生き辛くなってしまうという事です。
故に、承認欲求と競争意識に意識を向けない、他者と自分の課題を混同させない人間関係を構築していく必要が出てきます。
それにはまず現在描ける理想の自分を想像し、今の自分とのギャップにだけ目を向ける事が必要です。
常に「認めてくれるもの」も自分、「競う合うもの」も自分であり、理想の自分と現在の自分を比較し、無理することなく少しづつそのギャップを埋めていけば良いと思います。
上記に示したことから対人関係の捉え方を出発すれば、最終的にアドラーが言う共同体感覚を呼び起こす事ができるかもしれません。
共同体感覚を呼び起こす。これは長年人類が培ってきたもので、誰でも既に持っているために、身につけるのではなく掘り起こしていくようなものだと言われています。しかし、この共同体感覚の「共同体」という言葉だけでも通常で想像するような既存の捉え方ではなく、過去から未来、そして宇宙全てを含んだ、文字通りの「すべて」が共同体なのだという壮大なスケールの捉え方です。
アドラー自身も「共同体」について「到達できない理想」だと考えていたほどですから、なかなか簡略に説明できないものかもしれません。あくまで主観的な私の捉え方を少し書いていきます。
人は人と交わり、認め合う事で幸せを感じる生き物。しかしそれは一人でいる時に感じる事ができないかと言うと、そうでもありません。
例えば、もしあなたが一人暮らしで、仕事を終えて帰ってきた。「誰も食事を作ってくれないし、一人で作って一人で食べるか?」
そして「まぁ今日はパスタでも食べようか」と冷蔵庫を開く。この冷蔵庫が無ければ食べ物を保管しておくことも出来ない(感謝)。卵、ニンニク、ベーコン、チーズ、パスタ・・・「これらでカルボナーラでも作るか?」
この材料全てが、誰かが「材料」にまでしてくれました(感謝)。
鳥さん、豚さん、牛さんの協力も勿論必要(感謝)。鍋に水を入れ、調理器にかける。まな板、包丁を使う。電気や水道、ガスも使う。あなたのカルボナーラが出来るまでにどれほどの人間や生き物、自然の恵みが必要か?
こう考えると、全てのものは時間も空間も越えて、あらゆる者達がそれぞれの役割をこなしてくれた「おかげさま」で、あなたはカルボナーラを作る事も、食べる事もできます。「感謝」ってことになります。
日本には素晴らしい言葉があります。そう、「御蔭さま(おかげさま)」です。私はこの感覚に近いかもな?って思ってしまいます。
あくまで主観なんで、そこんとこヨロシクです(笑)