アロマセラピーっていつ頃から始まったんでしょう?

紀元前3000年頃のエジプト文明では、香りは神への捧げものでした。まず初めに神に捧げられ、僧侶、支配者、そして民衆へと広がっていったそうです。エジプトの女性は頭に香りの軟膏を乗せていたようです。
ミイラを作るときには、シダーウッドに浸した包帯を使って遺体を巻いていました。ツタンカーメン王の墓には50個ほどの香りの瓶が入っていたそうです。
紀元前15世紀~紀元前1世紀頃のイスラエルでも、神への捧げものに香りが添えられていました。モーゼがエジプトを脱出するときも、聖なる注ぎ油.(香りのついたオイル)をつくったと記されています。
また、紀元前960年~紀元前925年頃に在位していたソロモン王に、アラビア南部のシバの女王の国から香りの贈り物がありました。古代ではフランキンセンスとミルラが好まれていたようです。
キリストが誕生したとき、東方の三使者から黄金とミルラとフランキンセンスが捧げられ、キリストはフランキンセンスを選んだそうです。フランキンセンスは偉大な預言者のシンボルでした。
古代ギリシャ人はバラが好きで、バラの香油やバラ水などは高値で取り引きされ、ぶどう酒にもバラの香りが付けられたほどだったそうです。

紀元前4世紀頃から高価な香りについての研究が行われ、アリストテレスの弟子のテオフラストスが「植物史」を著しました。また、医学の父ヒポクラテスは、「健康は、芳香風呂に入り、香油マッサージを毎日行うことである」と言っていたそうです。
古代ローマでもバラは生活に欠かせないもので、宮廷の泉にバラ水が湧き、公衆浴場もバラで一杯だったそうです。バラの枕やバラのプリンなどもあり、衣類もバラ水で洗っていたそうです。

紀元後1世紀頃にデオスコリデスが書いた薬草医学の論文は、現在の薬草の知識の由来にもなっています。
5~11世紀、イスラムは香りを東洋から西洋へ運ぶ役目を担っていました。ソロモン王時代のユダヤの女性は、王に会うための「御浄め」にミルラの香油を用いたそうです。
9世紀になってアルコールが発見されたり、蛇管と蒸留器の発明によって、動物や魚の油脂などに花を混入させて香りを楽しむ方法ではなく、本来の花の香りを抽出して保存することが可能になりました。

10~11世紀、医者であり科学者でもあったアラブ人のアヴィセンナは、錬金術の過程で、バラから精油とバラ水が採れることを発見し、バラ水は十字軍によってヨーロッパに伝えられました。
12世紀にはイギリスの尼僧ヒルデガルトがラベンダー水を発明し、シャルル5世は庭にラベンダーを植えさせて、ラベンダー水を作っていたそうです。
14世紀に修道尼マリア・クレメンティネが伝えたハンガリーウォーターは、世界初の香水として、またハンガリー王妃の若返りの妙薬としても知られています。

16世紀になると、口伝えに伝承されてきたアロマセラピーも、数々の書物として記されるようになりました。
17世紀にイギリスでペストが流行したとき、香水工場で働く人々はペストにかかりづらかったそうです。 1650年頃には戦争が大規模になり、化学薬剤が発達してきたため、医師と薬草専門家が分離するようになりました。
18世紀からは、香りは香水として用いられてきました。
「アロマセラピー」という言葉は、1920年代にフランスの化学者ルネ=モーリス・ガットフォセによってつくられました。ガットフォセが研究中に火傷を負った手をラベンダーの精油に浸けたところ、火傷は跡形もなく治ってしまったそうです。
第二次世界大戦が始まると、フランスの医学博士ジャン・バルネは傷の治療のために精油を用い、それ以降も様々な症状に対して精油を用いた結果を論文で発表しました。そして1964年に「芳香療法」という本を出版しました。
その後、マルグレット・モーリーが精油を使ったオイルマッサージを美容目的のために行ったが、リュウマチなどが治ったため、治療に使われるようになったということです。