最後は奇魂ですね。
この魂の機能は観察力や分析力、理解力、「悟る」などの「知」から構成されるものと言われています。
この魂の働きが強い人は「自分にしかできない」と思う事が達成できることに大きな喜びを感じるようにもなります。故に真理を探究したりすることを好む傾向も強くなります。
また、知識を付けて「何らかの事」を極めたいと思っていますので、知識欲も旺盛になり、「よく知ろう、よく学ぼう」とします。
しかし、理屈で考えて動く事が多いので、行動力を司る荒魂の働きが弱ければ「口だけで実行に移せない」「いつも計画だけで終わってしまう」ことになってしまいます。
この奇魂の働きが「強いかな?」と感じる人は、経験やそこから生まれる知恵などを上手く取り入れないといけないのでは?と思います。
更にもっと大切な事は、他者から「常に学ぶ」姿勢ですよね。この他者は、なにも自分が深めたいこと、極めたい事の先生や専門家だけではないんです。「自分がどうでもいいと思ってたりする人」も含めて学ぶ癖だと思います。
特に奇魂の働きが性格に強く現れると、知識を重んじる傾向がある為に、「知識」を自分よりも持っている方には「素直に学ぶ姿勢」があると思いますが、「無いと思えば」軽んじる傾向も出てきてしまうと思います。
しかし自分以外の全ての人は、それぞれがその人しかできない「経験」をしているのですから、当然「学べること」があると思います。
奇魂の働きは「智」ですね。しかしこの魂に「覚る」という反省がない時は、曲霊となって「狂魂」に変ずるとあります。
「覚る」とは理解であり、またそれに気づくことです。
私も若い頃には師を求め、色々な方とお会いしました。その時、「私が望むものを持つ」と言われる方達にお会いしたとき、失礼にも「結局、誰も持ってないじゃん、詐欺だよ」なんて本気で思ってた頃がありました。
自分自身を解りもしない若造が、他人様の批判はできました。(もちろん批判は心の中でですが(笑))
上に書いたことと同じですよね?
その人の能力とか才能とかに目を奪われて、他の学ぶべきことが見えてなかったんですよね?
後に理解でき、大いに反省したので「狂魂」には変化してないとは思いますが、どうでしょうかね?(笑)