篤胤さんのこういった思想は当時の民衆に受け入れられていき、その考えや思想がどんどん広まっていきます。
篤胤さんの「生きてる人は死んだ後の人々は見えないが、死んだ人達は自分たちを常に見守ってくれているんだ」という考えが民衆に受け入れられていたようです。
その後、篤胤さんは復古神道(古道学)の大成者と言われるようになります。要するに、本居宣長さんの時代のまだ研究段階としての国文学などの学問を、古神道というものへ宗教化していった方だと捉えることができます。
こうした江戸時代の復古神道の流れが幕末から明治にかけて活発になっていき、大本、神道天行居、出雲大社教、神理教、古神道仙法教などの宗教が生み出されていきます。