仏教に「善悪不二」という言葉があります。
私達は「何をもって善で、何をもって悪とするのでしょうか?」
ついつい私たちは色々な場面で「それは善い事だ」「それは悪い事だ」と言いきってしまいます。もしくは思い込んでいます。

善も悪も常に表裏一体の関係であるかもしれないのに・・・

仏教学者で東京大学名誉教授の平川彰教授の著書に書かれていた言葉に「コップの中に水と泥を入れてかきまぜる。しばらくすると澄んだ水と泥に区分される。澄んだ水を善とするなら、泥は悪である。しかし、これをかきまぜると、すぐに濁り水となる。このように人間の心とは、実に不安定なものであり、善悪入りまじったものだ。」というのがありました。

私などの凡人がこれを解釈するなら「水も泥も混ざってしまえばそれは泥水」。泥水の状態では、どこから泥でどこから水なんて言えやしないにもかかわらず、私達は「善悪混ざった泥水の状態」でも「善だ」「悪だ」と言いきってしまうと解釈しちゃいます。

よく私など愚か者はこの泥水を自分の都合で「これは泥だ」いや「これは濁ってても水だ」と自分の都合でよく言ってしまい、後で反省します。(笑)

物事に動揺せず、心静かに放っておけば、冷静な状態なら自分にとっての善や自分とっての悪が、水と泥が分かれるように見えてくるかもしれません。しかしこれさえも自分にとっての善悪です。

しかし泥と水が分かれていても、コップには泥も水も入っています。
「これは水だ」と言っても下にはしっかり泥があり、「これは泥だ」と言っても上にはしっかり水が乗ってます。私などの未熟者は常にそれを心に留めておいても、ついつい「自分が正しい」なんて思うことがあります。「その反対にある間違い」を忘れてしまいます。

それでも反省を繰り返していると、不思議に考え方が自由になってきてるように感じます。気のせいかもしれませんが(笑)